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虞美人草 [花図鑑]

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 今回は、藝大美術館で開催される夏目漱石展に因んで、小説『虞美人草』のお話を少々。

 ここ数年、それまではあまり街中で見掛けなかった小さなオレンジ色した花が随分とその数を増していると思っているのは僕だけだろうか。その花の名はナガミヒナゲシと云う。1960年頃から次第に野生化していった帰化植物で、雛芥子=ヒナゲシ同様、アヘンなどの麻薬成分はいっさい含まれない。今回のタイトルである『虞美人草』とは、ヒナゲシの別名。写真のナガミヒナゲシとは厳密には違う花ではあるけれど、それはまぁご容赦頂く(^^ゞとして、与謝野晶子が「ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟われも雛罌粟」と詠んだ歌の中で、情熱的に“火の色”と表現している雛罌粟(コクリコ)も同じヒナゲシのことだ。

 今この時期、園芸店に行くと、シャーレイポピーと云うヨーロッパ産の園芸種が売られている。この写真のナガミヒナゲシの花よりもやや大振りで、白もあれば黄色もある。でも、ヒナゲシと聞いて多くの人が思い浮かべるのは、おそらく鮮やかな赤だろう。モネやルノワール、カサットら印象派の画家たちが描いたヒナゲシの花の色も、それははっきとした赤だった。


 一方、漱石がその作品とタイトルとしてイメージした『虞美人草』は、どんなヒナゲシだったのだろう。net上で検索して見ると、ヒナゲシの花言葉には「恋の予感」、「いたわり」、「思いやり」、「陽気で優しい」、「忍耐」、「妄想」、「豊饒」などが挙げられているけれど、そのどれかと重なる何かを、1867年生まれの彼はイメージしていただろうか。

 そもそも、虞美人草とは秦の武将・項羽の愛人の名「虞」に由来しているのだと云う。項羽が劉邦との戦に敗れ、もはやこれまでと詠んだ『垓下の歌』に合わせて舞った彼女は、踊り終えると、自ら命を絶ったと云う。その美しさ故に、囚われて、望まぬ庇護を受け、心ならずも生き延びることを拒んだわけだ。その虞が葬られた墓に、以降、芥子の赤い花が咲く様になったことから、ヒナゲシは虞美人草と云う別名を持つ様になった。

 だけど、漱石の作中、明治と云う新時代の“新しい女”の姿として象徴的に描かれているヒロイン・藤尾に、貞節を守る為に愛する男に殉じて自害する女性は重ならない。どうも虞の話は藤尾には古くさく思えてならないのだ。ただただ、男女の関係に於いて、自分の選んだ相手と別離し、その意思にそぐわぬ相手と一緒になるくらいなら、いっそ自ら命を絶つと云う共通項を除いては。

 因みに、漱石の小説とは時期が前後するので全く関連は無いかもしれないけれど、彼が留学した英国(滞在は1900年05月~01年12月。『虞美人草』の連載開始は1907年)では、赤いポピーが第一次世界大戦の犠牲の象徴とされているんだとか(※ソースはwiki→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%8A%E3%82%B2%E3%82%B7)。


 小説『虞美人草』には、藤尾が死して眠る床の枕元に、彼女を葬送するため、漱石の思いつく限りの“美しいもの”たちが並べられる。その中でも、美しいものの象徴的なアイテムの1つとして、酒井抱一の描いたとされる虞美人草=芥子花図の銀屏風が登場する。

 抱一だと“される”この銀屏風は、現存する抱一作品に照らすところ、その特徴と合致する絵は見当たらず、どうやら漱石の創作か、もしくは実際に漱石の目に触れていたとしても、それはかなり出自のアヤシイ物までを含む抱一以外の琳派系絵師の作品ではないかと、抱一研究の第一人者である玉蟲敏子先生は論文に書かれておられる。故に、ここでは果たしてどの抱一屏風が実際のモデルであるだろうかは、僕も問わない。

 漱石の作品では、『門』(1910年)の中でも、かつて父の代には抱一の屏風を所蔵していたものの、自らの代でそれを手放さなくてはならなかった主人公の、江戸の旧旗本的な武家社会的観念と、明治の新時代のそれとの間で、移ろい行く価値観についてが、如何にも“隠れ里の文学”らしく、ごく淡々と語られる。

 それを踏まえれば、『虞美人草』の抱一屏風にも、その屏風が敢えて逆さまに飾られるのにも、単に美しさの象徴と云った役割以外にも、漱石は何かしら重要な意味を持たせているのだと考えるのが順当だろう。逆さであるのは、江戸の価値観の否定なのか、はたまた虞の死と藤尾の死に様は、全く反対の意味を持つと云う暗喩なのだろうか。


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撮影2013年04月28日
 『虞美人草』のヒロインである藤尾の名と彼女の死には、小説の構想の当初からある意味が関連づけられていたが故に、漱石は彼女を「藤尾」と名付けたと云う研究者の説もあるそうだ。それは、新しい女である彼女が、古い時代の男性社会では全く受け入れられず、結果として最後には、言わば吊し上げを食う結末(=死)を、漱石は考えていたらしい。その美しく若い女が吊される様を象徴するのが、藤の花だと云うわけなのだ。

 漱石は新知識人として「新しい女」に寛容であるかの様に思えて、実は意外に旧道徳に則り否定的だった。弟子の森田草平が平塚明子(はるこ=らいてう)と起こした塩原尾花峠心中行のスキャンダル(1908年)も、森田のらいてう擁護の弁明を聞き入れず、「云ふこと為すこと悉く思はせ振りだ。それが女だよ」と語り、ズーデルマン『エズワール』の女主人公「自ら識らざる偽善者」に明子をなぞらえ、「君が識らなければ僕がさう云ふ女を書いてみせようか」と語ったとか。そうして描かれたのが、漱石の云う無意識の偽善者、新しい女である美彌子だったと云う(※出典は、漱石研究第2号『門』:翰林書房刊中、『三四郎』-結婚商売と新しい女たち-中山和子著より)。

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 藝大美術館で開催される漱石展を前に、『虞美人草』の藤尾をイメージした妖しいまでの藤が花がたくさんに枝垂れて風にそよぐ様を写真に撮れたら・・・。そんなふうに思って写真を撮りに来たのだけど、残念ながら(こちらも予想どおり)もう殆ど終わり近くと云った咲き具合。僕は藤尾の最期に、どこか狂おしいくらいに艶やかに吊り下がった鈴木其一の藤図を重ねてイメージしているから、これほどスカスカじゃ、ちっともオハナシになりませんね(苦笑)。



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