アリスティード・マイヨール [ART]
19世紀にフランスで生まれた彫刻家・アリスティード・マイヨール(Aristide Maillol : 1861~1944)の作った女性像が好き。
◆『裸のフローラ』(1911) 山梨県立美術館・文学館の庭園にて撮影
ギリシャやルネッサンスを崇拝する古典主義の、過剰なまでの理想美とは少々距離を置いた、シンプルかつ滑らかな、柔らかいこのフォルムが好きなんだなぁ。
マイヨールは元々は画家を目指していた。ピュヴィ・ド・シャヴァンヌの作品に憧れ、彼の絵を模写し続けていた。
イタリア滞在でのフレスコ画に感銘を受けたシャヴァンヌの作風は、題材的には古典的でありながらも、様式としての古典主義やロマン派など、当時のアカデミスム絵画とは明らかに一線を画すものだった。明暗を付けず、遠近法を意識させない平明な画面。目に見える光景ばかりに囚われない、夢幻的で詩情を感じさせる画題。簡略化されたシンプルな描線とフォルム。シャヴァンヌはマイヨールだけでなく、多くの若い画家たちに多大なる影響を与えた。
やがてマイヨールは、やはりシャヴァンヌを賞賛してたゴーガンの作品と出会う。それは1889年、カフェ・ヴォルビニで行われた“綜合主義展”でのことだった。ゴーガンと面識を得た彼は、自身も綜合主義へと向かい、同じくゴーガンから啓示を受けていた若い画家グループ、ドニやヴュイヤールなどのナビ派の面々と合流するのだ。
そのまま絵画の道を突き進んでいれば、マイヨールは画家として間違いなく成功していただろう。
しかし、将来を嘱望されたこの画家を襲った現実は、あまりに冷酷なものだった。マイヨールは絵画と平行して行っていたタピストリー制作で目を痛め、働き盛りの30歳代後半にして絵画を断念せざるを得なくなる。
この挫折が、彫刻家・マイヨールを誕生させるのだ。
◆『着衣のポモナ: Pomone drapée』(1921) オルセー美術館蔵
僕が初めてマイヨールに心奪われたのは、オルセー美術館で訪れたナヴィ派の部屋でのこと。
その時の僕は、まだナビ派の画家たちのことをほとんど知らなかった。ただ、そんな僕の目にも明らかにジャポニスムの影響を感じさせるピエール・ボナールの印象深い傑作、『クリケットの試合』(1892)が目に着いて、それをじっくりと眺めていたら、そのすぐ隣にポツンと一体だけ女性のブロンズ像が置かれているのに気付いた。それがマイヨールの『着衣のポモナ』だったのだ。
ポモナは森のニンフ(精霊)であり豊饒と繁栄の女神。両の手には彼女が育てたリンゴを持っている。美しいポモナを我がものにしようと、多くの神々が入れ替わり立ち替わり彼女に求婚するものの、果樹園での暮らしに満足しているポモナはそれらを一切退け、聞く耳を持たない。しかし、最後に四季を司る神であるウェルトゥムヌスが老婆に変身してポモナへ近づき、彼女への溢れる思いを伝えて二人は結ばれるのだ。
絶世の美女と云うほどでもなく、類無き理想のプロポーションと云うわけでもなく。それなのに、離れがたい不思議な魅力を持った女性像。首から肩へと続く美しいライン。そっと手を触れたくなる様な、滑らかなブロンズの肌。ロダンやブールデルの様に激しいドラマ性は持たずに、ただ、そっと静かに詩情を湛えるその顔立ち。
◆『夜』(1902-09) 国立西洋美術館蔵
いつも必ず会えるわけじゃないけど、上野・西洋美術館の常設室にもマイヨールの作品が収蔵されている。彼のナヴィ派の仲間、モーリスドニの画風を思わせるプロポーション。僕にはその姿はドニの描く彼の妻であるマルトがモデルの『ミューズたち』(※現在国立新美術館で開催中のオルセー美術館展2010にて公開中)を思い出させる作品だ。
俯いていて、顔が見えないのが残念なんだけど、ね。
◆『裸のフローラ』(1911) 山梨県立美術館・文学館の庭園にて撮影
ギリシャやルネッサンスを崇拝する古典主義の、過剰なまでの理想美とは少々距離を置いた、シンプルかつ滑らかな、柔らかいこのフォルムが好きなんだなぁ。
マイヨールは元々は画家を目指していた。ピュヴィ・ド・シャヴァンヌの作品に憧れ、彼の絵を模写し続けていた。
イタリア滞在でのフレスコ画に感銘を受けたシャヴァンヌの作風は、題材的には古典的でありながらも、様式としての古典主義やロマン派など、当時のアカデミスム絵画とは明らかに一線を画すものだった。明暗を付けず、遠近法を意識させない平明な画面。目に見える光景ばかりに囚われない、夢幻的で詩情を感じさせる画題。簡略化されたシンプルな描線とフォルム。シャヴァンヌはマイヨールだけでなく、多くの若い画家たちに多大なる影響を与えた。
やがてマイヨールは、やはりシャヴァンヌを賞賛してたゴーガンの作品と出会う。それは1889年、カフェ・ヴォルビニで行われた“綜合主義展”でのことだった。ゴーガンと面識を得た彼は、自身も綜合主義へと向かい、同じくゴーガンから啓示を受けていた若い画家グループ、ドニやヴュイヤールなどのナビ派の面々と合流するのだ。
そのまま絵画の道を突き進んでいれば、マイヨールは画家として間違いなく成功していただろう。
しかし、将来を嘱望されたこの画家を襲った現実は、あまりに冷酷なものだった。マイヨールは絵画と平行して行っていたタピストリー制作で目を痛め、働き盛りの30歳代後半にして絵画を断念せざるを得なくなる。
この挫折が、彫刻家・マイヨールを誕生させるのだ。
◆『着衣のポモナ: Pomone drapée』(1921) オルセー美術館蔵
僕が初めてマイヨールに心奪われたのは、オルセー美術館で訪れたナヴィ派の部屋でのこと。
その時の僕は、まだナビ派の画家たちのことをほとんど知らなかった。ただ、そんな僕の目にも明らかにジャポニスムの影響を感じさせるピエール・ボナールの印象深い傑作、『クリケットの試合』(1892)が目に着いて、それをじっくりと眺めていたら、そのすぐ隣にポツンと一体だけ女性のブロンズ像が置かれているのに気付いた。それがマイヨールの『着衣のポモナ』だったのだ。
ポモナは森のニンフ(精霊)であり豊饒と繁栄の女神。両の手には彼女が育てたリンゴを持っている。美しいポモナを我がものにしようと、多くの神々が入れ替わり立ち替わり彼女に求婚するものの、果樹園での暮らしに満足しているポモナはそれらを一切退け、聞く耳を持たない。しかし、最後に四季を司る神であるウェルトゥムヌスが老婆に変身してポモナへ近づき、彼女への溢れる思いを伝えて二人は結ばれるのだ。
絶世の美女と云うほどでもなく、類無き理想のプロポーションと云うわけでもなく。それなのに、離れがたい不思議な魅力を持った女性像。首から肩へと続く美しいライン。そっと手を触れたくなる様な、滑らかなブロンズの肌。ロダンやブールデルの様に激しいドラマ性は持たずに、ただ、そっと静かに詩情を湛えるその顔立ち。
◆『夜』(1902-09) 国立西洋美術館蔵
いつも必ず会えるわけじゃないけど、上野・西洋美術館の常設室にもマイヨールの作品が収蔵されている。彼のナヴィ派の仲間、モーリスドニの画風を思わせるプロポーション。僕にはその姿はドニの描く彼の妻であるマルトがモデルの『ミューズたち』(※現在国立新美術館で開催中のオルセー美術館展2010にて公開中)を思い出させる作品だ。
俯いていて、顔が見えないのが残念なんだけど、ね。
2010-07-18 12:00